江戸の極楽とんぼ・書評
評者・富岡多恵子氏(朝日新聞1997年9月7日朝刊)

 当節、書店にあふれている旅行記は、ナンデモアリというよりドコデモアリというべきか、目的や場所の多様性はおそろしばかりである。今年の夏も多くのひとが「旅行」したが、だれでもが旅行記を書くわけでも書けるわけでもない。やはりおもしろい旅行記は、それなりに元手が かかる。
今から170年ほど前、文政11年(1828年)の夏に江戸を出て、ひょんなことから船で仙台領石巻に行き、そこから東北各地を渡り歩いて、北陸から京都に入るまでの8年間の旅道中の日録、それを『筆満可勢(ふでまかせ)』(全5巻−ただし3巻、4巻が残念ながら散逸との由)と題して残した男がいる。深川に住んでいたという、江戸浄瑠璃の一派、富本節の富本繁太夫なる芸人で、シゴトに欠かせぬ三味線引きを連れての旅である。
 芸人が芸をするというのは、どういうことなのか。はじめての土地、そこで芸によって銭を稼ぐための興行を打つにはどのような手続きでやっているのか。やはり興行権をもつのは目明かしであり、時に盲目の座頭であり、それをとりもつのが、多くは女郎屋の経営者である顔役。冷害、不作、飢饉、藩財政の逼迫もなんのその、くる時には客はくる。しかし不都合が生じれば、即刻追い払われるのはヨソ者の芸人。とにかくこの旅道中記、意外な「東北」を出現させる。
 繁太夫というひと、土地土地の女郎に追いかけられての女難も多いが、やはり花のお江戸の芸人がもてたということだろうか。それにしても日々の金銭の出入り、稼ぎの明細を記しているのは、文人墨客の旅行記にはない流れ芸人の実状をよく知らせてくれるが、この『筆満可勢』が旅のあと数年後に本人の手で浄書(?)されて成ったとの但し書きに興味をそそられる。荷風の「日乗」には及びもないが、この旅行記、フィクションではないにしても「旅芸人の日常」への多少の作意はあったはずだ。芸を売りながらの旅は、極楽とんぼではつとまらず、さりとて極楽とんぼでなければ続かない。文化文政から天保のころの時代状況への目くばりも充分に、芸人の旅を紹介する著者の、嫌みのない講釈もまた聞きものだ。


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