絵本・写真・美術
2010年刊

写真帖 40年前の仙台
路面電車が走っていたころ
小野幹、高橋こうけん/写真 日下信、西大立目祥子/文
A5 110頁・1800円+税
ISBN 978-4-89544-520-7

「仙台の記憶―100万都市の原風景」の続編。昭和30年代の、まだ人口が50万に満たない地方都市だったころの仙台を活写した第2弾。すでに消えてしまった町並みを記録した写真集。
冊数

昭和四十二年、歴史と人情のまち荒町に押し寄せた「交通戦争」8
一日を田んぼで遊びつくす、子どもたちの姿があった七郷10
仙台初の鉄筋コンクリート中層住宅、同心丁県営アパート12
昭和三十二年一月、冬の陽が射す広瀬通、東一番丁の角14
二度の大火をくぐり抜け、いまも残る「仙台銀座」16
戦前の面影を残し、静かな家並みが続いていた木町通18
吊り橋を渡ってお花見へ。八木山は市民の憩いの場所だった20
戦災復興が進む仙台のまちを「輪タク」が走っていた22
小さな店がちまちま並ぶ五橋。交差点には人も車もあふれていた24
「ゼロ番丁」から仙台を代表する飲食街へ26
貞山堀わきを墓参りに向かう。昭和四十五年、荒浜の送り盆28
近郊の農家や運送会社の馬車が行き交った原町本通り30
地域の人がこぞって出かけた、七郷神社のお祭り32
青果市場や工場に通う人でにぎわった行人塚踏切34
昭和三十一年十二月、南材木町。生活は、みんな町内の店で事足りた36
市電に乗って大勢の人が詰めかけた、大崎八幡宮どんと祭38
「遠藤商店」を探し中田からさらに南、名取市増田へ40
鉄道で分断された仙台の東西を結んできたX橋42
か細いケヤキとぬかるみで始まった、青葉通44
それぞれの思い出を彩る青葉神社のお祭り46
広瀬川の対岸、川内地区は米軍キャンプと静かな住宅地だった48
復興途上のまちで繰り広げられた三瀧不動さんの夏祭り50
「駅裏」から「駅東口」へ。呼称とともに変わったもの52
六十年を経ても変わらない、東一番丁の「連鎖街」54
数多くの歴史ある町名が消えた小田原界隈56
職住一体で活気があった東一番丁のとなりまち58
アーケードはなくとも、にぎやかだった東一番丁60
青葉通と東一番丁の角にはいつも森天祐堂があった62
馬車やオート三輪が走っていた長町のミリオン劇場前64
戦災復興事業で、二筋の通りが一本にまとめられた北材木町66
昭和三十八年三月、まだ空き地が目立つ旭ケ丘68
のんびりと馬車や市電が走る昭和三十年ごろの土樋70
敗戦後の数多くの記憶が色濃く刻み込まれたX橋72
数寄屋造りの割烹が軒を連ね、落ち着きあるまちだった本櫓丁74
わが国初のオリンピックの年、盆踊りは「東京五輪音頭」で76
仙台市電と白い教会が彩る北四番丁の思い出78
戦災後の復興事業で墓地を移転し整備された愛宕上杉通80
リヤカーと農家の人でごった返した長町青果市場前82
交通戦争が激化するなか、三居沢の動物園跡地は交通公園に84
仙台市電と東北本線が交差した国道四十五号の花京院橋86
行楽地からニュータウンへ大きく変貌した「中山」88
昭和三十年代の河原町、にぎわいの思い出90
土地区画整理で消えてしまった「十文字」の交差点92
陸軍の練兵場から運動公園へ、戦後大きく変わった宮城野原94
明治時代以来の商店街としてにぎわっていた二十人町96
大都市・仙台の隣で消えた分校のある山里98
昭和三十六年七月、西公園に待望の市民プールが完成100
道幅五〜六メートル、まだ大八車が似合った上杉山通102
昭和四十一年初秋、南小泉に迫る宅地化の波104
昭和四十八年の写真から、東一番丁界隈の歴史をたどる106

 参考文献 108
 あとがき 110

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