コラム [2026/02/12,09:59:43]
去年の暮れから地元の魁新報紙に月2回のコラムを連載している。お正月を挟んだので、連載はいきなり不定期になり、うまくリズムに乗れなかった。でも5回目を過ぎたあたりから、ようやく執筆リズムのようなものが体内にできつつある。「秋田のほん箱」というタイトルの連載だが、まあ毎日書いているこの「今日の出来事」の延長のような原稿だ。このコーナーを読んでくださる方には、同じことを書いてらぁ、と笑われるかもしれない。大したことを書いているわけではないからネタに困ることはない。それでも人並みに読者がどんな感想を持っか心配になる。といっても身の丈以上に自分を大きく見せたい年でもない。ありのままの身辺雑記がテーマなので、ダラダラ、あることないこと、綴っていこうと思っている。機会があればぜひ新聞を読んでほしい。
「黒い海」 [2026/02/12,09:44:05]
ハワイ沖でアメリカ軍の原子力潜水艦に衝突され9人の死者を出した宇和島水産高校の練習船「えひめ丸」事件から今年は25年目だという。この事件はよく覚えている。あの事件から7年後の08年、いわき市の第58寿和丸が、太平洋上で停泊中に沈没、17名もの犠牲者を出した事件は、なぜか、えひめ丸ほどの報道がなされなかったため、知らない人も多い。伊澤理江『黒い雨−−船は突然、深海に消えた』(講談社)を読むまでは私もその詳細は知らなかった。未だ沈没の原因が不明で、その捜査プロセスを検証したルポだ。著者はこれが初の著作で、いきなり本田靖春ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、日本エッセイスト・クラブ賞の3冠を獲っている。執筆動機は、いわき市の「日々の新聞」の安竜編集長だ。安竜さんには私もいろいろお世話になっている。それにしても「えひめ丸と寿和丸」の報道格差というか報道量の差は、いろんな事情があったにせよ、いまも釈然としないものはある。
松家仁之 [2026/02/10,12:32:25]
選挙もオリンピックも「過熱」は嫌い。みんなが同じ方向を向くのが怖い。だからテレビは見ない。こんな時は本を読むに限る。映画もいいのだが、映画の場合は基礎知識がないから、その日の気分にあったコンテンツを選ぶ能力がない。これが本になると、読者としての自分の欠点や弱点、弱みや苦手を「熟知」しているから選択肢は豊富だ。で不自由はない。最近はわざと苦手なジャンルの本を選んだり、絶対に手を出さない作家の本を、あえて読むという冒険をしている。このところはまっているのは「松家仁之」。この作家のデビュー作『火山のふもとで』(新潮文庫)に打ちのめされ、『光の犬』も読んでしまった。いい作家だなあ。文庫本になっている彼の全作品を読破するのが今の目標で、楽しみだ。自分の知らない魅力的な現代作家は、たぶん彼以外にも多くいるのだろう。自分の偏狭さを恨みたくなるときもあるが、知らない世界に足を踏み込むのは、この年になっても勇気がいる。生きているうち、いっぱい新しい作家や作品と出会いたいものだ。
チョウ [2026/02/09,09:28:01]
動物行動学者の日高敏隆に「チョウの飛ぶ道」という随筆がある。チョウの飛ぶ道は決まっている、という少年時代の確信を、長い時間をかけて立証していく話で、これが実にかっこいいのだ。その中で、戦中、東京から秋田に疎開した話が出てくる。遠い親戚の石田精三さんを頼って大舘町に来たのだが、チョウ道の観察には適当な場所がなかった、と嘆きつつ、ファーブルの本に出てくる小さなハチがたくさんいて、その観察に精を出している。疎開した場所は栗盛図書館の隣の家、と書いている。今度大舘に行ったら訪ねてみよう。それにしても理系の科学者たちの文章は面白いだけでなく、心が洗われるような名文が多い。。寺田、中谷、湯川だけではない。
時間 [2026/02/08,11:20:09]
遠くにギャァギャァという鳴き声がひっきりなしに聴こえる。もう白鳥の北帰行がはじまったの? と怪訝に思ったら、候補者名を連呼する選挙カーの「騒音」だった。遠くには、白鳥の集団飛来のときの鳴き声とよく似ているのだ。それにしても1週間の過ぎるのが早い。毎日は週末だ。これは私が年寄りになったからなの。若いころの1種間は、たぶん仕事の進捗状況が「時間を支配」していたので、忙しければ忙しいほど1週間は長かった、ような気がする。仕事が少なくなった今は、時間を支配するのは「時間」だ。放っておくと時間は勝手にどんどん過ぎていく。昔はこれに「仕事」という圧力が大きなブレーキをかける役割を果たしていた。1週間があまりに長くてうんざりしたこともたびたびだった。あの日々が懐かしい。
落下傘 [2026/02/07,10:23:57]
遠洋漁業の人たちは出航すると何か月も洋上を漂泊する。夜寝るとき、船はどうしているのだろうか、とずっと疑問に思っていた。周りに漁業関係者の友達もいないので、知らないうちにこの年になってしまった。ある本を読んでいたら、遠洋漁業で夜休むときは、パラシュート・アンカーと言われる錨(いかり)を使って船体を安定させ、安全に洋上を漂泊する、書いていた。船首側の海中に落下傘を広げ、水の抵抗を使って船首を風上に向け、横波を受けにくくする。これで船体は安定し、安全に海の上を漂っていれる。さすがに大シケの時は、難を逃れるために港に待機するのだが、それ以外は洋上で荒天をしのぐため「パラ泊」を選ぶのが常識なのだそうだ。なるほど、そういうことだったのか。船を停止させるのは錨だが、数千メートルもの深さの海底に打ち込む錨なんてあるはずもない。落下傘を使った海のホテルだったのだ。山のことならある程度わかるが、海のことになるとまるで異世界だ。
立春の卵 [2026/02/06,14:28:24]
散歩がてら駅まで行って不在者投票。雪のない道を選んで歩いたせいか、いつもよりも距離は長いのに疲労度は少ない。ということは雪道は砂浜を歩くのと同じ負荷がかかるのかも。たまたま見たローカルニュースで「立春に卵は立つか」という特集をやっていた。立つよね、いやどうかな、と言ったバラエティ的な視点で若いレポーターたちは盛り上がっていた。「立春の卵」というの昭和22年に世界中のメディアを巻き込んで話題になった「事件」。普通は立たない卵も立春の日だけは立つ、という説だ。その発信元は中国で、「中国の古書に秘められた偉大な真理」というのだが、結論を先に言うと、卵は立春にも立つが、それ以外でも立つ、というのが物理学の答だ。この昭和22年の「騒動」を、軽妙なエッセイで解説してくれたのが雪の研究などで有名な物理学者・中谷宇吉郎だ。彼のエッセイはその後、さまざまな本に転載され、教科書にまで採用されている。番組は当然、この中谷の文章を踏まえて作られたものだろうが、いっこうに中谷の名前は出てこない。もしかして中谷のことを知らず「立春の卵」を不思議現象として、本気で取り上げているのだろうか。いくらなんでもそんなことはないだろう。基本的に卵は立つものなのだ。それを中谷は野暮にならないように抑制的に噛んで含めるように、物理の原理として説いている。テレビを見て、また中谷の文章を読みたくなり書庫から『雪は天からの手紙』(岩波少年文庫)を引っ張り出した。
双璧 [2026/02/05,10:44:03]
70台になってから、仕事場や着るもの、寝室などの身辺の汚れが気になるようになった。そこでコードレスのハンディクリーナーを使うようになったのだが、これが実に便利。毎日こまめに使えるように仕事場と寝室に2台用意し、テッシュで鼻をかむように使い倒している。着るものもよく洗濯するようになった。食事の時の食べこぼし防止に仕事場では「よだれかけ」が必需品になった。衣類の汚れは食べこぼしによるものがほとんどだ。介護用防水エプロンとたいそうな名前がついているが、正真正銘「よだれかけ」だ。これもまた毎日の必需品で、簡単に洗濯できるのがいい。70台になって、買ってよかったなあ、と思うものの双璧である。どちらも2千円台で買え、毎日重宝しているのだから、すごい。安いといえば手前味噌だが、やっぱり本が一番だ。どんな昔の本でもネットでユーズドを探せば、本は数百円で手に入る。資料庫を探すのが面倒で、ネットで同じ本を何度も買うことも多い。重複した本は人にやればいい。探す時間のロスのほうが問題だ。外食をしなければ、この程度の出費は物の数ではない。外でご飯を食べると2千円というのは異常な世界としか言いようがない。
和暦 [2026/02/04,09:48:10]
いろんな資料を読むのが仕事だが、未だに和暦の表記にはてこずっている。西暦で統一されていれば問題なくすらすら読みこなせるのだが、和暦が出てくると、途端に思考を中断し、西暦に「訳して」から次に進む。昭和元年は1926年、平成元年は1989年、令和元年は2019年だから、それを頭に入れておけば、あとは和暦に25、88,18を足していけば数合わせはできる。それは知っているのだが、「48年豪雪」という言葉が出てくると、これは昭和48年のことか。だとすれば25を足すと73年、無明舎を創業した翌年か……と言う具合に時間が結びついてイメージは飛躍する。たしか平成6年にも豪雪があった。これは88を足すと94年。無明舎が一番忙しかったころで雪下ろしをした唯一の年だ。令和3年の税務報告書を探して、と言われても、エッいつのこと、となるのだが、18を足して2021年のことと、ようやく納得する。ごく最近じゃないか。こうした煩雑な「翻訳」を無意識にこなしている日々だ。けっこう時間のロスにつながっている。江戸時代の宝暦や文治などなら調べるのも手間ではない。でも現代の和暦だけは頭が混乱するだけで、自分的には益がほとんどない。
死亡記事 [2026/02/03,09:51:45]
映画監督の長谷川和彦と国際ジャーナリストの落合信彦、コメンテーターのモーリー・ロバートソンが亡くなり、新聞死亡欄は大忙しだ。不謹慎かもしれないが、この各氏の扱いが新聞ごとにまるで違うのが興味深かった。たとえば毎日新聞はトップがダントツで長谷川だ。落合、モーリーと順番に、その扱いが小さくなる。これがローカルの魁新報になると、トップは落合で以後、モーリーが続き、長谷川に至っては顔写真すらない。なるほどなあ、なんとなくメディアの立ち位置というか読者層の顔までが見えるような扱いだ。私個人はサブカルチャーを王道に生きてきた世代なので、わずか2本しか映画を撮っていない長谷川をトップに据えた毎日の記事に圧倒的にシンパシーを感じる。でも一般的な感覚としては魁紙が「正解」なのだろう。毎日新聞って、やっぱりちょっと変だ。そんなところが好きなのだが。内館牧子さんが亡くなった時も、毎日の秋田県版は岩手の記者の書いた死亡記事を載せていた。オイオイそりゃないだろうという感じだが、なぜ秋田の記者が書かなかったのか、社内事情もあるのかもしれない。

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