結果 [2026/01/30,09:21:38]
人間ドックの結果報告書が届いた。1年で一番いやな郵便だ。治療が必要な病気がある場合、医師への紹介状が別封筒に入っている。これが入っているとアウトだが、今回は封筒なしで一安心。でも総合判定欄を見るといつものように、デブだ、血圧高すぎ、心電図異常と、いろんな所見が書かれている。そして、全体の診察所見は「A=異常なし」。これをもってめでたし、と思いたいのだが、総合判定の注意書きを読むと、逆にほぼ重病人のように感じて落ち込んでしまう。所見Aを信じて気持ちおおらかにこの一年を過ごすのか、総合判定の「注意書き」におびえてビクビク年を重ねるのか、迷ってしまうのだ。一番怖い「今すぐ再受診検査」という結果でなかったことに、いまは感謝しておこう。毎年、人間ドックの結果はしんどくなる一方だ。これを年齢のせいにするのは簡単だが、メンタルのほうは年々弱くなっている。
俳句 [2026/01/29,10:00:18]
関口尚『芭蕉は我慢できない』は面白い本だった。歴史小説というか、ほぼ俳句入門書だ。サブタイトルは「おくのほそ道随行記」で、俳諧の確立のために奥州の旅を望んだ芭蕉に同行した弟子・曾良の側から見た紀行文である。ハチャメチャなエンタメ小説かと思ったら、冷静で誠実な、芭蕉の性格や野望、矛盾と真摯に向き合った、まじめな珍道中(?)だ。なにより芭蕉の名句が誕生する瞬間に立ち会っている臨場感がありドキドキする。堅苦しい権威や歴史を感じさせない軽妙な文体で、軽やかな語り口のリズムが心地いい。芭蕉との関係性も、憧れ、反目、和解と刻々変化する。句の深さに焦点を当て、改作や読みが繰り返され、句が最高の形に定まるまで、芭蕉は言葉や趣向をかえ続ける。それが何年にも及ぶこともあるというのだから恐れ入る。芭蕉は永遠の未完、変化するたびに大輪の花を咲かせる、と敬意を表しながらも、そのわがままさに閉口しながら、曾良の旅は続く。意外だったのは「俳句」という言葉が一行も出てこないこと。俳句という言葉は明治になってから正岡子規が「俳諧の発句」から命名した言葉なのだそうだ。
アサイー [2026/01/28,09:20:07]
近所に「アサイー専門店」ができていた。さっそくやじ馬気分で入った。テイクアウトもやっている喫茶店で、若い女性が働いていた。はちみつ入りのアサイージュース700円を頼む。アサイーは無味無臭で、ブルーベリーをちょっと大きくしたような黒紫の果実。ポリフェノールをはじめ栄養価が高く、抗酸化力も強いので、健康食品として人気が高い。実はこのアサイー、作っているのはブラジル・アマゾンの日本人移民たちだ。これはあまり知られていない。アサイーは25mにもなるヤシの一種で、その葉っぱの部分に生る実だ。現地の人はこのままジュースにして、ドンブリに入れて食事時に「みそ汁」のように飲む。野菜を食べる習慣がないから、これが唯一の野菜なのだ。傷みの速い果実なので、現地で消費するしかない。それをアマゾンの日本人移民たちは、巨大なジュース加工工場を作ることで、とれたてを冷凍保存、海外に輸出することを可能にした。いま私たちが飲んでいるアサイーにはそんな歴史があるのだ。個人的には、40年以上取材を続けてきた地球の反対側の日本人移民たちの仕事が、日本の秋田の隅っこで味わうことができる、ことに感慨しきりである。
選挙 [2026/01/27,09:36:17]
選挙と高校野球が始まると新聞の連載がいきなり不定期になる。書いた原稿が飛んでしまうことがしばしばあるのだ。こんな経験をしているからか、選挙と高校野球の期間はユーウツで「イヤだなあ」という皮膚感覚がある。田舎では選挙屋と言われる人たちがいる。ふだんは好々爺なのに、この時期になると急に張り切り、毎日選挙事務所に駆けつけ、頼まれてもいないのに陣頭指揮したりする。実生活では鼻つまみ者で、誰からも相手にされないのだが、選挙では重要人物として重宝されたりするのだから面白い。長く生きてきて、選挙には行くが特定の候補者とかかわりを持ったことは一度もない。これからもたぶんかかわりを持つことはないだろう。政治は大変な仕事だ。それを進んで自らの職業にする人たちは自分とは異次元の、高い志を持った人たちだ。自分のような私利私欲人間には務まらない職業だ。これまでの人生で、人のために役に立ちたい、という思いを抱いたことがこれっぽちもない。これはもうどうしようもない。
雪について [2026/01/26,09:18:16]
雪が降り続いている。屋根の雪下ろし……と言う言葉がいっしゅん脳裏をかすめる。でもそこまでひどくはなさそうだ。事務所の屋根の雪は、ちょっと積もるとすぐにすべり落ちる。屋根に近い二階シャチョ―室が不夜城で、ストーブを1日中燃しているから、屋根も温まっているせいだ。散歩は安全性を考えて、夜から昼にかえたが面白いことに気が付いた。バス停で待っている人が圧倒的に若者が多いのだ。一昔前のバス停は老人天国だったが、今は若者がひしめいている。車を持たない人たちが多いのだ。両手にストックで歩いているので、話かけられることが増えた。ノルディック・ウオークのように歩いているのが珍しいのだろう。これも今後は雪国の散歩の定番になる日が近い、かも。
難敵 [2026/01/25,10:48:13]
スポーツなどではよくあることだが、今の自分のレベルでは、どう考えても無理、という局面がある。それでもチャレンジし続け、その技を会得すると、次のステップアップが可能になる。実は「読書」にも同じような局面がある。この本は古典的な名作だけど自分程度のリテラシーでは読みこなせない。これはある程度本を読んでいれば、すぐにわかるようになる。スポーツと違ってレベルアップを望まなければ、そんな小難しい本は敬遠し、エンタメ小説を楽しめばいいだけの話なのだが、それではいつまでたってもリテラシーは向上しない。後期高齢者になってから、そんなことを考えだし、あえて自分には「難しい」と思う本に挑戦することを心掛けてきた。『魔の山』はそうして読了できたし『白鯨』は残念ながら挫折した。今読んでいるのは去年の話題作、K・W・ジョンソン『大英自然史博物館珍鳥標本盗難事件』(DOJIN文庫)。犯罪ルポの傑作と言われるドキュメンタリーだが、苦手の理系の記述が多く、かつ専門用語に満ちた、ミステリー仕掛けの本だ。著者はフリーランスの、ドキュメンタリーものを手掛ける人のようなので、そこに親近感を持って読み始めた。でも最初の十分の一ほどで頭がこんがらかってきた。でも、やめない。今が苦しさ(?)のピーク、ここを超えればきっとクライマーズ・ハイのような状態がかならずやってくる、と信じて、今夜も寝床で格闘するつもり。
「どくろ杯」 [2026/01/24,10:57:01]
金子光晴『どくろ杯』(中公文庫)を読み始めたら、その独特の文体リズムに乗せられ、最後まで読み通してしまった。昭和3年、夫人の森三千代と上海に渡り、窮乏の中をしぶとく生き延び、満州と支那大陸に戦火のはじまる昭和7年に帰国する。その壮絶な異境放浪記は、金子が33歳の時からはじまる。しかし「どくろ杯」「ねむれ巴里」「西ひがし」という自伝3部作としてその旅紀行が書かれたのは金子が70歳になってからだ。40年もの時間をおいて書かれた青春紀行なのである。「どくろ杯」はその最初の2年間の記録で、まるで下駄ばきで散歩に出るような気軽さで、異国での深刻な窮乏と臨場感ある地獄絵図を、まるで他人事のようにふりかえる。その過去の壮絶な時間を、40年を経てまた生きなおすかのように、のめり込んで創作される、というほうが正確だ。思い出を語るなどという甘ったるさは文中に一度もでてこない。この時期、金子は、生活的にも窮乏のどん底で、妻との関係も深刻な危機、詩人としても行き詰っていた。窮余の一策として、死地に生を求めるような賭けが、この逃避行だったのだ。出発の5年前に関東大震災があり、青春時代の自己形成期に大正時代という自由な思想を呼吸したことも、日本脱出の背景にはある。妻の故郷である長崎から上海までは船で1日半で上陸できた、というのも初めて知った。海外旅行への抵抗はほとんどない。上海からマレー、マレーからヨーロッパへ旅立つところで「どくろ杯」は終わる。さあ、次は「ねむれ巴里」だ。
ノニオ [2026/01/23,09:03:34]
2年ほど前から、朝は「ノニオ」というマウスウオッシュで口をすすいでいる。友人から口臭がする、と注意されたのがきっかけだ。マスクをする機会がコロナ禍以降増えたことも影響しているのだろう。マスクをすると自分の口臭がより意識できるようになる。このノニオは、口腔ケアのために開発されたものだ。うがいするようになって、確かに口臭を意識することが少なくなった。肉やアルコールで腸内発生した臭気ガスは血流にのり肺から放出される。これは歯磨きでは防御出来ない。口腔ケアのためのマウスウオッシュはもう必需品だ。人と会うとき、相手の口臭が気になると、相手への敬意や友情が冷めてしまう経験を何回もしている。自分も相手にそのような思われたことも少なくないはずだ。人と会う機会はめっきり減ったが、やはり口臭防止は最低限のエチッケトだ。
雪下ろし [2026/01/22,09:32:38]
雪は降り続けているが、メディアで報じられているほどでもない。今のところ「まあこんなもんだろう」という程度だが、ここ数日でどうなるかは、わからない。考えてみれば、湯沢市から大学に入るために秋田市に移り住むようになって屋根の雪下ろしをした経験は、たった一度しかない。確か90年代に一度あったきりだ。湯沢時代は、冬になると毎日のように雪下ろしをする家々を見ていた。雪下ろしをしなくてすむ秋田市に「同じ秋田とは思えない」と正直驚いたものだ。大学の掲示板に「雪下ろしアルバイト」なる求人があった時も「雪下ろしがお金になる」という現実に実感が伴わず混乱した。飲料水が店で売られていたときと同じようなショックを覚えたのだ。この程度の雪ならと鷹揚に構えているのは、こうした少年時代の豪雪地帯の記憶が残っているせいだ。子どもにとっても、あの雪下ろしというのは重労働だった。
積雪 [2026/01/21,10:00:11]
痛め止めが効いてるだけかもしれないが、転倒による手首の痛みがようやく薄れた。あとは血圧が下がってくれれば言うことはない。身体の調子がよくないと、考えることがずんずんとネガティブになっていく。後ろ向きになると、汚れた塵芥が体内に降り積もっていく感じがして、気分が悪い。昔はよく旅(外)に出てリフレッシュしたものだが、いまは外に出る気がしない。年のせいにするのは簡単だが、どうもそれだけではないような気がする。原稿を書いたり、調べ物をしたり、本を読んだり、映画を観たり、料理をしたり……そんなもので鬱屈は一時的にうっちゃることができるが、長続きはしない。リフレッシュの一番は散歩だが雪道は転倒のリスクが高く、それもままならない。自由に散歩できないのが、もしかすると鬱屈の最大の理由かも。

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