立春の卵 [2026/02/06,09:40:56]
散歩がてら駅まで行って不在者投票。雪のない道を選んで歩いたせいか、いつもよりも距離は長いのに疲労度は少ない。ということは雪道は砂浜を歩くのと同じ負荷があるのかも。たまたま見たローカルニュースで「立春に卵は立つか」という特集をやっていた。立つよね、いやどうかな、と言ったバラエティ的な視点で若いレポーターは盛り上がっていた。「立春の卵」というの昭和22年に世界中のメディアを巻き込んで話題になった「事件」だ。その発信元は中国で、「中国の古書に秘められた偉大な真理」というのだが、結論を先に言うと、卵は立春にも立つが、それ以外でも立つ、というのが物理学からの答えだ。この昭和22年の「騒動」を、軽妙なエッセイで解説してくれたのが雪の研究などで有名な物理学者・中谷宇吉郎だ。彼のエッセイはその後、さまざまな本に転載され、教科書にまで採用されている。番組は当然、この中谷の文章を踏まえて作られたものだろうが、いっこうに中谷の名前は出てこない。もしかして中谷のことを知らず「立春の卵」を不思議現象として、本気で取り上げているのだろうか。いくらなんでもそんなことはないだろう。基本的に卵は立つものなのだ。それを中谷は野暮にならないように抑制的に噛んで含めるように、物理の原理として説いている。テレビを見て、また中谷の文章を読みたくなり書庫から『雪は天からの手紙』(岩波少年文庫)を引っ張り出した。
双璧 [2026/02/05,10:44:03]
70台になってから、仕事場や着るもの、寝室などの身辺の汚れが気になるようになった。そこでコードレスのハンディクリーナーを使うようになったのだが、これが実に便利。毎日こまめに使えるように仕事場と寝室に2台用意し、テッシュで鼻をかむように使い倒している。着るものもよく洗濯するようになった。食事の時の食べこぼし防止に仕事場では「よだれかけ」が必需品になった。衣類の汚れは食べこぼしによるものがほとんどだ。介護用防水エプロンとたいそうな名前がついているが、正真正銘「よだれかけ」だ。これもまた毎日の必需品で、簡単に洗濯できるのがいい。70台になって、買ってよかったなあ、と思うものの双璧である。どちらも2千円台で買え、毎日重宝しているのだから、すごい。安いといえば手前味噌だが、やっぱり本が一番だ。どんな昔の本でもネットでユーズドを探せば、本は数百円で手に入る。資料庫を探すのが面倒で、ネットで同じ本を何度も買うことも多い。重複した本は人にやればいい。探す時間のロスのほうが問題だ。外食をしなければ、この程度の出費は物の数ではない。外でご飯を食べると2千円というのは異常な世界としか言いようがない。
和暦 [2026/02/04,09:48:10]
いろんな資料を読むのが仕事だが、未だに和暦の表記にはてこずっている。西暦で統一されていれば問題なくすらすら読みこなせるのだが、和暦が出てくると、途端に思考を中断し、西暦に「訳して」から次に進む。昭和元年は1926年、平成元年は1989年、令和元年は2019年だから、それを頭に入れておけば、あとは和暦に25、88,18を足していけば数合わせはできる。それは知っているのだが、「48年豪雪」という言葉が出てくると、これは昭和48年のことか。だとすれば25を足すと73年、無明舎を創業した翌年か……と言う具合に時間が結びついてイメージは飛躍する。たしか平成6年にも豪雪があった。これは88を足すと94年。無明舎が一番忙しかったころで雪下ろしをした唯一の年だ。令和3年の税務報告書を探して、と言われても、エッいつのこと、となるのだが、18を足して2021年のことと、ようやく納得する。ごく最近じゃないか。こうした煩雑な「翻訳」を無意識にこなしている日々だ。けっこう時間のロスにつながっている。江戸時代の宝暦や文治などなら調べるのも手間ではない。でも現代の和暦だけは頭が混乱するだけで、自分的には益がほとんどない。
死亡記事 [2026/02/03,09:51:45]
映画監督の長谷川和彦と国際ジャーナリストの落合信彦、コメンテーターのモーリー・ロバートソンが亡くなり、新聞死亡欄は大忙しだ。不謹慎かもしれないが、この各氏の扱いが新聞ごとにまるで違うのが興味深かった。たとえば毎日新聞はトップがダントツで長谷川だ。落合、モーリーと順番に、その扱いが小さくなる。これがローカルの魁新報になると、トップは落合で以後、モーリーが続き、長谷川に至っては顔写真すらない。なるほどなあ、なんとなくメディアの立ち位置というか読者層の顔までが見えるような扱いだ。私個人はサブカルチャーを王道に生きてきた世代なので、わずか2本しか映画を撮っていない長谷川をトップに据えた毎日の記事に圧倒的にシンパシーを感じる。でも一般的な感覚としては魁紙が「正解」なのだろう。毎日新聞って、やっぱりちょっと変だ。そんなところが好きなのだが。内館牧子さんが亡くなった時も、毎日の秋田県版は岩手の記者の書いた死亡記事を載せていた。オイオイそりゃないだろうという感じだが、なぜ秋田の記者が書かなかったのか、社内事情もあるのかもしれない。
減反 [2026/02/02,09:33:50]
いま地元紙で「コメ政策―秋田から問う」という連載をやっている。国策で生まれた大潟村を舞台に、減反政策で大きく狂った入植者を追ったものだ。あの減反政策やヤミ米対順守派の対立で村を出た人、自死を選んだ人、今も村内で冷や飯を食っている人たち、の調査取材をしてほしいと思いつき、もし地元紙の記者に会うことがあれば、思い切って企画提案してみよう、と手帳に去年暮れにメモしていた「アイデア」だった。さすが、私ごときに言われるまでもなく記者たちは同じことを考えていたわけだ。うれしいというか、ありがたい。その昔、大潟村の選挙を取材したさい、対立候補が当選すると手をたたいて喜んでいたヤミ米派の人たちにショックを受けた。これで自分たちは「減反派にいじめられている」というイメージを全国に発信できるからだ。何人もの弁護士を雇いれ、知事と法廷闘争を仕掛けた、あの農民たちの熱気を、今の人に知ってほしい、と思うのは私だけではないはずだ。
雑感 [2026/02/01,10:41:07]
ただブラブラ歩くのとストックをしっかり使って歩くのとでは、運動量がかなり違う。ストックを使うと汗ばむし、両腕に疲労度も残る。2,3日前までガソリンが142円台で喜んだのに147円になっていた。どうして? 駅東のパチンコ屋さんに入っているラーメン屋が新しくなった。そのせいで連日若い人で行列ができている。最初だけだろうと思ったら、もう3か月近くたつのに、まだ行列がある。そんなにおいしいの。選挙はまだ序盤戦のせいか、そううるさくない。地元広面の中高校を出て、東大に入り、弁護士になったという2児をもつ若い母親が立候補している。すべてを手に入れた成功者だが、まだ政治家になってやりたいことがあるという野心には、恐れ入る。この人の「ゴール」とは何なんだろう。凡人にはうかがい知れぬ世界だ。夜、大好きな森繁の映画「社長シリーズ」の記念すべき第一作を観る。もちろんモノクロで、森繁の口うるさい妻役は久慈あさみではなく、なんと越路吹雪だ。なるほど、越路の後釜だから同じ宝塚出身の久慈だったわけか。そういえば二人はよく似ている。それにしても「社長シリーズ」は何回見ても新しい発見がある。この映画について原稿を書いてみたい。
うめぼし [2026/01/31,10:25:00]
このところずっと頭が重い。頭痛というほどではないが、脳裏に濃い霞がかかったような、つねにボンヤリ感がある。これはもしかして脳溢血などの前兆では……と怖くなりネットで調べたら、最近のみ始めた血圧降下剤には「頭が重くなるような初期症状が出る」と書いてあった。なるほど、血圧降下剤の影響だったのか。つい2,3年前まで血圧は120〜130台で、何の問題もなかったのに、いきなり150台になった。なにか原因があるはずだ。いつものの大好きな「自分追跡」を試みると、犯人らしき影が見えてきた。「うめぼし」である。2年程前から、友人からもらったうめぼしを朝にお茶と一緒に1個だけ食べている。毎日欠かすことはない。たぶん、これが塩分過多で、血圧上昇の原因ではないのか。それなりに運動(ウォーキング)や飲食の節制(ノンアル)はしている。身体に無茶なことは何もしてないのに、この年になって急に血圧が20も上がるのは直接的な原因がきっとある。やはりうめぼしが怪しいなあ。
結果 [2026/01/30,09:21:38]
人間ドックの結果報告書が届いた。1年で一番いやな郵便だ。治療が必要な病気がある場合、医師への紹介状が別封筒に入っている。これが入っているとアウトだが、今回は封筒なしで一安心。でも総合判定欄を見るといつものように、デブだ、血圧高すぎ、心電図異常と、いろんな所見が書かれている。そして、全体の診察所見は「A=異常なし」。これをもってめでたし、と思いたいのだが、総合判定の注意書きを読むと、逆にほぼ重病人のように感じて落ち込んでしまう。所見Aを信じて気持ちおおらかにこの一年を過ごすのか、総合判定の「注意書き」におびえてビクビク年を重ねるのか、迷ってしまうのだ。一番怖い「今すぐ再受診検査」という結果でなかったことに、いまは感謝しておこう。毎年、人間ドックの結果はしんどくなる一方だ。これを年齢のせいにするのは簡単だが、メンタルのほうは年々弱くなっている。
俳句 [2026/01/29,10:00:18]
関口尚『芭蕉は我慢できない』は面白い本だった。歴史小説というか、ほぼ俳句入門書だ。サブタイトルは「おくのほそ道随行記」で、俳諧の確立のために奥州の旅を望んだ芭蕉に同行した弟子・曾良の側から見た紀行文である。ハチャメチャなエンタメ小説かと思ったら、冷静で誠実な、芭蕉の性格や野望、矛盾と真摯に向き合った、まじめな珍道中(?)だ。なにより芭蕉の名句が誕生する瞬間に立ち会っている臨場感がありドキドキする。堅苦しい権威や歴史を感じさせない軽妙な文体で、軽やかな語り口のリズムが心地いい。芭蕉との関係性も、憧れ、反目、和解と刻々変化する。句の深さに焦点を当て、改作や読みが繰り返され、句が最高の形に定まるまで、芭蕉は言葉や趣向をかえ続ける。それが何年にも及ぶこともあるというのだから恐れ入る。芭蕉は永遠の未完、変化するたびに大輪の花を咲かせる、と敬意を表しながらも、そのわがままさに閉口しながら、曾良の旅は続く。意外だったのは「俳句」という言葉が一行も出てこないこと。俳句という言葉は明治になってから正岡子規が「俳諧の発句」から命名した言葉なのだそうだ。
アサイー [2026/01/28,09:20:07]
近所に「アサイー専門店」ができていた。さっそくやじ馬気分で入った。テイクアウトもやっている喫茶店で、若い女性が働いていた。はちみつ入りのアサイージュース700円を頼む。アサイーは無味無臭で、ブルーベリーをちょっと大きくしたような黒紫の果実。ポリフェノールをはじめ栄養価が高く、抗酸化力も強いので、健康食品として人気が高い。実はこのアサイー、作っているのはブラジル・アマゾンの日本人移民たちだ。これはあまり知られていない。アサイーは25mにもなるヤシの一種で、その葉っぱの部分に生る実だ。現地の人はこのままジュースにして、ドンブリに入れて食事時に「みそ汁」のように飲む。野菜を食べる習慣がないから、これが唯一の野菜なのだ。傷みの速い果実なので、現地で消費するしかない。それをアマゾンの日本人移民たちは、巨大なジュース加工工場を作ることで、とれたてを冷凍保存、海外に輸出することを可能にした。いま私たちが飲んでいるアサイーにはそんな歴史があるのだ。個人的には、40年以上取材を続けてきた地球の反対側の日本人移民たちの仕事が、日本の秋田の隅っこで味わうことができる、ことに感慨しきりである。

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